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姫路市をご紹介します |
・姫路市の位置と概要 | ・歴史と文化の城下町〜姫路 | ・世界へ羽ばたく白亜の名城〜姫路城 |
姫路市の位置と概要 |
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人口 | 535,963人(男/258,684、女/277,279) 推計人口 | |||
面積 | 534.27ku | |||
市役所所在地 | 〒670-8501 兵庫県姫路市安田4丁目1番地 電話 079-221-2111(代表)
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市長 | 石見 利勝 | |||
市木 | カシ | |||
市花 | サギソウ | |||
市鳥 | シラサギ | |||
市蝶 | ジャコウアゲハ | |||
姉妹都市 | 国内 | 松本市(長野県) 鳥取市(鳥取県) |
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海外 | シャルルロア市(ベルギー) フェニックス市(アメリカ) アデレード市(オーストラリア) クリチーバ市(ブラジル) 太原市(中国) 馬山市(韓国) |
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城 | シャンティ城(フランス) |
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姫路市は、兵庫県南西部に広がる播州平野の中央に位置する播磨の中心都市です。広い平野と穏やかな瀬戸内海、温暖な気候と地理的条件もよく、西国を睨む要衝の地として古くから栄え、経済・文化等が発展してきました。 特に、世界文化遺産に指定された国宝姫路城は、あらゆる意味で街のシンボルとなっています。その周辺は、美術館、歴史博物館、文学館、好古園をはじめとする文化施設も数多く、姫路城は言うまでもなく、書写山円教寺、広峯神社、古墳など歴史的遺産の多いことから、観光都市としてもその名をよく知られています。 |
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「姫路」の地名は「播磨国風土記」に出てくる「日女道丘」(ひめじおか)に由来すると言われ、古来から、都と西国を結ぶ要地であったため、7世紀には国府が所在し、8世紀には国分寺が建てられました。関ケ原の役後、徳川家康の娘婿の池田輝政が入封し、慶長6年(1601年)に現在の姫路城の築城に着手し、本格的な市街地の建設を開始しました。以後、明治まで譜代大名の典型的な城下町として繁栄しました。 市制施行は明治22年で、以来100年の間、軍都として、商工都市として、発展してきました。戦後は、新しい都市計画により市街地が形成され、近隣市町村の合併を推進し、現在の姫路市の形態を整え、以後、姫路を中心とした播磨臨海工業地帯が形成され、産業都市へと目覚ましい変貌を遂げました。今、姫路市は新しい世紀を迎え、更なる飛躍に向け前進中です。 |
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平成18年3月27日をもって、姫路市と飾磨郡家島町、飾磨郡夢前町、神崎郡香寺町、宍粟郡安富町の1市4町は合併し、人口53万人の新「姫路市」としてスタートしました。 | |||||||
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世界へ羽ばたく 白亜の名城・姫路城 |
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〜 世界文化遺産・白鷺の城 〜 | ||
姫路駅をおり立ち、駅北側の大手前通りに出ると最初に目を奪われるもの、世界文化遺産・国宝姫路城が優美な姿でそこに立っています。その姿が羽を広げて舞う白鷺にたとえられるところから、別名「白鷺城」(しらさぎじょう・はくろじょう)とも呼ばれて親しまれています。1993年、姫路城は、奈良の法隆寺とともに、日本で初めてユネスコ世界文化遺産の指定を受け、日本の宝から世界の宝へとなったのです。 | ||
〜 守られてきた美しき要塞 〜 | ||
姫路城は、五層七重の大天守と3つの小天守で構成された連立式天守閣、清楚な白漆喰総塗籠造、大天守各層の屋根の理想的な逓減率、各層の屋根にアクセントを与えている千鳥破風と唐破風の絶妙の組み合わせなど、それらがお互い響きあった壮麗な芸術品であり、また、複雑巧妙な螺旋型の縄張り、死角の見つけられない鉄砲狭間など築城技術の限りが尽くされた要塞でもあります。その崇高なまでの美しさと、堅固な守りは、日本の城郭建築の粋を集めた、まさに歴史の遺産であり、長い時の流れの中で、さまざまな人の情熱により、その美しい城姿は創られ守られてきました。 | ||
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〜 千姫が住んだ城 〜 | ||
姫路城の歴史は、1333年、播磨の豪族・赤松則村が現在城のある姫山に砦を築き、その子貞範が城に造り上げたことに始まります。その後、小寺氏、黒田氏が続き、1580年、羽柴(豊臣)秀吉が西国攻略の根拠地として三層の天守閣を完成させました。但し最近の研究では、築城は16世紀中頃の黒田重隆・職隆の時とする説もあります。その後、羽柴氏、木下氏と続き、関ケ原の役後、徳川家康の娘婿の池田輝政が入封し、慶長6年(1601年)に現在の姫路城の築城に着手し本格的な市街地の建設を開始しました。更に池田氏の後、城主となった徳川家重鎮の本多忠政が、三の丸・西の丸一帯を改築して、ほぼ今見られる姫路城が完成しました。西の丸は、忠政の嫡子忠刻の正室で、徳川家康の孫・二代将軍の徳川秀忠の長女である千姫のために造られたと言われ、今もその名残りをとどめています。 | ||
〜 時 を こ え て … 〜 | ||
その後城主は変わりましたが、常に徳川譜代の大名が入封して明治維新を迎えました。日本のたくさんの城が、維新のときに取り壊されたり、戦争で焼失した中で、姫路城は奇跡的に生き延び、今もなお悠然とした姿で凛としてそびえ立っています。その神々しいまでの美しい姿は、時をこえて、今を生きる私たちに語りかけてくるようです。 |
姫路城 ひとくちメモ | |||||
●所在地 | 兵庫県姫路市本町68番地 | ||||
●入城時間 | 午前9時〜午後4時 (閉門午後5時) | ||||
但し6〜8月は午前9時〜午後5時 (閉門午後6時) | |||||
●休城日 | 12月29日〜31日 | ||||
●お問い合わせ先 | 姫路城管理事務所 (079) 285-1146 | ||||
●交通アクセス | JR・山陽電車の姫路駅から北へ徒歩10〜15分、 | ||||
バスなら5分。 | |||||
春になると、姫路城は桜の花でいろどられ、 その美しさはたとえようもなく、訪れる人の目を奪います。 しかし、春に限らずどの季節でも、それぞれの美しさがあり、 是非、季節ごとに姫路城を訪れていただきたいものです。 |
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総務・労働部 TEL (079) 233-0741 |
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