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飾 磨 区 の 歴 史
飾磨の海にともる灯の その色見れば泪なかるる…
 
播磨はわれの父の国
播磨はわれの母の国
飾磨の海にともる灯の
その色見れば泪なかるる 有本芳水詩碑
有本芳水詩碑
  これは、飾磨区出身の詩人・有本芳水の詩です。山陽電車飾磨駅を下車して南西へ歩いて5分ほど、恵美酒宮天満神社のそばに、古い灯台を型どった詩碑が立っており、この詩句が刻まれています。
  飾磨の海に育まれた芳水のふるさとに対する心情が切々と伝わってくるようです。




わたつみの海に出でたる飾磨川 絶えむ日にこそわが恋やまめ
( 『万葉集』 巻十五・3605 )
  飾磨 (しかま) 。
その地名は、日本最古の歌集「万葉集」で詠まれており、また日本最古の地誌と言われる「播磨国風土記」の中では、大三間津日子命(おほみまつひこのみこと)が屋形を造っていた時に、鹿が鳴いたので「牡鹿鳴くかも」と言ったことに因んでつけられたと言われています。

  その歴史は太古万葉の時代から続いており、飾磨地域には歴史を感じさせるものが数多くあり、姫路藩の海の玄関として栄えた湛保(たんぽ)と呼ばれた港、飾磨砲台跡、菅公ゆかりの三天神、英賀神社、英賀城本丸跡など枚挙に暇がありません。
湛保 (たんぽ) 浜の宮天満神社
湛保 (たんぽ) 浜の宮天満神社
 
英賀城本丸跡石碑 英賀神社
英賀城本丸跡石碑 英賀神社
 
  江戸時代前期の慶長年間には飾磨津に姫路藩御船役所が置かれ、水軍の御船手組が常駐していました。弘化3年には飾磨の湛保が築造され、海岸線防備のための藩御台場(砲台)が設置されました。江戸時代後期には新田開発が進み、下中島村の大森新田をはじめとして、大規模な開発が行なわれました。
姫路藩御船役所跡 飾磨砲台跡
姫路藩御船役所跡 飾磨砲台跡
 
飾磨津浦手番所跡 東堀町会所跡附近
飾磨津浦手番所跡 東堀町会所跡附近
 
  明治維新後、明治4年には廃藩置県により「飾磨県」となりましたが、その後同9年には大幅な府県統合により兵庫県等と合併し、現在の兵庫県の区域が確定しました。また、同9年には生野銀山と飾磨津間に約49qの鉱山寮馬車道(生野銀山道・馬車道)が完成し、飾磨津物揚場は、専用道の水陸の拠点として大きな役割を果たしました。昭和の初め頃まで、飾磨街道沿いに蹄鉄屋、馬具店などが軒を並べ、大いに繁盛したと言われています。
飾磨津物揚場跡 馬車道(飾磨街道附近)
飾磨津物揚場跡 馬車道(飾磨街道附近)
 
  明治22年、町村制実施により「飾磨町」となり、その後近隣の村と合併しながら町勢を拡大し、昭和15年に総面積18.10平方キロ、人口約4万人の「飾磨市」となりましたが、昭和21年に姫路市と合併して「姫路市飾磨区」となり、整備された港湾を中心に工業地帯としての発展を遂げ、播磨地域はもちろん、近畿圏ひいては日本経済の発展の一翼を担う街として成長し、今日に至っています。
飾磨港区 飾磨港区 飾磨港区
飾磨港区



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